"カーボンフリー"とは、どうやら二酸化炭素排出を無くそうという事らしい。和製英語なのか分からないが、おかしなことである。確かに人間の二酸化炭素排出は少ない方が良いという局面もあるはずだ。しかし、どの分野も一律そうすべきなのか分かって言っているのだろうか。例えば、発酵にともなう二酸化炭素排出はどうなのか、或いはワインや酒の場合はどうなのかということを考えているのだろうか。しかも決定的なことは、"カーボン"は二酸化炭素ではないということである。"カーボン"とはラテン語から来た"炭素"すなわち元素記号"C"のことである。という事は、生命絶滅を目指していることになる。オマケではあるが、ダイヤモンドも無くすということなのだろう。
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迸る雫。桃六
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例えば、"自動的"に撮った写真は"さりげない"ものだろうか。勿論、ご都合主義的な定義ではそう出来るかも知れないが、それを掲げるだけでも"さりげない"事は破綻している。くだらない気取りの言辞は、この際捨てるべきだ。
SNSに自分の子供の写真を投稿するのを見かける。子供は親の道具なのか? 投稿者は、子供という自分の他者の肖像権やプライバシー権をどう考えているのだろうか。
多くの人は、小さい頃から洗脳されて育っている。親や教師が洗脳の役目を担っている。順調に育っている、余り波風たたせない人達の頂点は、取り敢えず偏差値に彩られた道の先にある。予定調和の物わかりがいい人が同好会を作り、先輩に率いられてこの世の先をこねくり回していく。その同好会に入るには"従順な馬鹿"になることが必要条件の様だ。たまには派閥の下剋上がある様だが、少なくとも表面上の絆を大切にしている。
”緊急時以外は絆など無い方が良い”と呟くと、あの同好会からは後ろ指を指される。